テストの回答《水》

ベッドに横たわりながら祐子はぼんやり考えていた。今日は芦屋の叔母さまがいとこを連れてやってくる。午前十時をまわっていた。目はすっかり覚めているものの、すぐに寝室を出る気にもならない。祐子はゆっくり起き上がると、吸いかけの煙草に火をつけて一人掛けのソファに座り込み、何カ月も手付かずになっている原稿用紙を膝に乗せ、そのまま別世界に沈み込んでいった。

ストーリーの主人公はロシアのうら若き女流詩人ベラ・アフマドゥーリナである。革命の風が吹き始めたモスクワで大学生活を謳歌しつつも、したたかにしのびよる思想統制の足音を鋭く風刺する、情熱的な美しい黒髪の女性だ。

ある一月の晩、大学で開かれた詩の朗読会に颯爽と姿を現し、すでに支持者を多く持つ著名な若き男性詩人たちの中で紅一点の彼女は、ひるみもたじろぎもせず、とぎすまされた感性から生まれる感情をいとも美しい言葉で紡ぎだし、聴衆を魅了した。

その頃の詩の朗読会はえてして、聴衆が自由に意見をのべる一種の娯楽のようなもので、人々は贔屓の詩人に思い思いのテーマを投げかけ、詩人が即興で謳うのを楽しむという場面もしばしばあった。

当時日本からの唯一の留学生であった「私」は、どういうわけかある詩人との出会いを通じてこの朗読会に居合わせることとなり、ここで初めてベラと出会うことになったのだ。そして、以来決して忘れることのない一晩を過ごすことになる。

朗読会の余韻を引きずりながら、ステージを飾っていた詩人たちが束になって会場を後にし、そのままモスクワ川の河岸広場へ繰り出した。もちろんベラも一緒だ。私は友人ユーリーの後について歩き、時折思い出したように詩を唱える情感に満ちた詩人たちの声に耳を傾けていた。

一月も半ばというのに、モスクワ川はまだ完全に氷っていない。川面のほとんどは白く凍てついてはいるものの、ところどころに深い苔色の水がその下を流れているのが見える。紙袋から首をのぞかせたウォッカの瓶が連中の手から手へと渡り、やがて一行は護岸の一か所に思い思いに座り込む。

しばらく黙り込んでいたベラがおもむろに立ち上がり、ファーで縁取られたコートを脱ぎ捨てた。「今度は何をやらかすつもりなんだ。」と囃したてる男連中を気にも留めず、あっという間に全裸になった彼女は、さっそうと川のほうへ走り出したかと思うと、瞬く間に深く柔らかい碧色の水に吸い込まれていった。

透き通るような白い肌に、水に濡れて艶やかに光る彼女の黒髪がしがみついている。何かを笑い飛ばすかのような表情のなかに煌めく瞳は、こめかみをつたう川の滴に縁どられ恍惚と光を放っている。水から上がってくる彼女を遠目に眺めながら、これほど熱く、美しい人間の姿を私は見たことがないと感動していた。その瞬間からベラは私の中で水の女神へと昇華されていったのだ。

(後半へつづく)

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About Dr Kats

a working sociologist/linguist/translator based in Odawara, Japan
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